タロットの霊「フルの塔」の建設:

それは「絶対の道」である。

 (*本文は実際の講義録音の写しです。そのため、「語り」口調になっています。

 

  わたしたちが絶対者(神)に出合うということは、それまでのわたしたちの人生が決定的に変わることを意味します。「わたしたち」は「わたし」に変わり、その「わたし」は根こそぎに崩壊します。人は「わたしたち」では絶対者に出合えず、必ず「わたし」として絶対者の前に立たなければならないからです。

 

 そして絶対者と出合うと、「わたし」という存在は根本から崩壊します。それは、絶対者に出合った「わたし」は、そこで自分が相対者であることを突きつけられるからです。それが、素朴にはディオニュソス神話において、母であるセメレが愛する大神ゼウスの姿を本当に見た瞬間、即座に雷に撃たれて死を迎えるという伝承です。また、神話を超えたより実際的な伝承では、『新約聖書』の中でサウロが天来の光に撃たれ、使徒パウロへと変貌していく以下の物語に残されています。

 

 “さて、サウロはなおも主の弟子たちを強迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「私はあなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」。・・・・・サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。”

(新約聖書『使徒言行録』9章の1〜9節より)

(上の画像は、トートタロットの「#0.フール」と「#1.メイガス」)

 

(1)

 

 この「秘儀参入のタロット」では、この0番ですね、そして1番、これが特別な、全体を統括するカードということになります。このトートタロットは伝統に倣(なら)って制作されているカードではありますが、ここでの学び方ではそれを単なる絵として捉えずに、絶えず生き生きとした人物像として捉えて、1枚1枚のカードが大宇宙的な人物として生きてエネルギーを持ち、われわれと対話する、われわれと交流するものとして捉えます。そして、私たちはこの生き生きとした存在と付き合えば付き合うほど、この存在と「わたし」との間で、お互いにエネルギーが浸透し、莫大な、この世界とは違う大宇宙、あるいはアザーワールド、異なる世界からのエネルギーが「わたし」に流れ込んでくる、流入してくるということです。

 

 これはご自分で体験していただければわかる通り、自分でも仲のいい友人とか信頼できる人間関係が生まれると、その人を通して莫大な生命のエネルギーが流れ込んできますね。「この人と知り合ったからこんな気持ちになれた」とか、「こう考えればいいんだ」とか、「私もやってみようかな」という気持ちになれたとか。そういうことが、やっぱり本ですとか、テレビとか、あるいはインターネットとかという例もあるかもわかりませんが、直接会った人物から受ける影響は、それらよりもはるかに大きいだろうと私は思います。

 

 

 それはやっぱり、私たちは生きているからですね。私たちはロボットでもなければ、単なる理屈で生きている存在ではない。人生に意味や美しさを見出しながら生きているからこそ、その生きることは他者とお互いに交流し合って、刺激を与え合って、そして成長や発展していく。お互いに伸びていく。いい友達ができるとか、いい人物に出会うとか、それをきっかけにして、「そうだ卓球の選手になろう」とか、「ああこんなことで満足していてはいけない」とか。そういうインスパイアされるとか、気持ち、心、エネルギーを受け取ります。

 

 

 そしてタロットの「フール」は、「霊」であるということですね。「フール」は『聖神』です。それは宇宙全体と関わります。というよりも、フールは宇宙全体を創造した、つくった当事者ですね。そして、それがこの世界の中にやってきて働く姿が「メイガス」です。したがってメイガスは、占星学では水星に対応しています。水星というのは、太陽(宇宙の中の自分自身)の莫大な能力を、具体的な必要性に応じて実際の場へ引き出します。そしてコミュニケーションや知性、情報や学ぶこと、そして関係をつくることによって、さらに太陽の持つ働きを世界で発展させるという役割をします。

 

 

(2)

 

 そもそもコミュニケーション自体は、関係があるのでコミュニケーションが可能になる訳です。これからだんだん学んでいく中で自覚してもらいたい、発見してもらいたいのですが、私たちは自分では常日頃はそう思っていないのですが、私たちが存在することを「関係内存在」と言います。関係があるので私たちは存在する。これからたびたび何度も出てくると思いますので、「関係内存在」という言葉を覚えてください。関係のほうが優先する。個人が優先するのではない。関係があるので生きられるということですね。私たち自身がすでにそうでした。父親と母親の関係がなければ自分という存在がないのですが、どっかで忘れてますね。誰々の子であるとか、山田家の出であるとか。よくよく真実の姿を見れば、関係内の存在であるということですね。

(上図は、「関係内存在」という概念を、哲学的に史上初めて明らかにしたマルチン・ブーバーの『対話的原理』)

 

 もちろん人生の出来事をアクシデントとして捉えた場合、ある事件によってひょっとしたことから生まれるというのがあるのかもわかりませんが、一般的な場合で考えれば、父親と母親に愛情がある、信頼関係があり、関係があったので生まれてきますね。アクシデントや事件や襲われるというようなことがなければ、通常はそういう形になりますね。したがって事件が多くなれば当然「関係内」も壊れていく、社会も壊れていく、全体が壊れていくってことになります。だが、ちゃんとした関係があれば、子どもも育つ、教育もうまく進展していく、社会も正常に発展していく。理屈抜きに「そんなことはやめようね」ってことが通用するんですが、関係内存在が壊れていくと、「なぜそれをやめるんですか?」とか、反抗したり突っかかってきたり、関係が壊れているからですね。見失うことになりますね。そのことをよく理解してください。

 

 

 したがって別の言い方をすれば、人間は「関係内存在」であるということですね。宇宙的な関係によって生まれたのであって、人間がぽつんと孤立して出てはこない。関係がなければ人間も存在しない。つまりあなたや私だけじゃなくて、人類自体が存在しないということですね。

 これは自然宇宙を考えていただいてもわかります。地球は存在します。地球は存在しますが、地球なんて単体は存在しません。太陽系があるので存在してますが、太陽系がなければどっかで衝突してるか爆発してるか、ただただどこかに飛び続けるか流れるか、無の暗黒へ消滅する。例えば亀は、およそ1万匹生まれますが、そのうち 9,999 匹は無の暗黒へ消滅していく。生まれはしたが、関係が築けないからですね。軌道、生きるべき道(パス)を持たない。軌道があるので、地球も存在し、木星も存在し、ただ好き勝手に空間を飛んでいません。まあそれがひとつの例えですね。イコールではありませんが、地球や火星や月に意識があるとは思えないのでイコールではありませんが、ひとつの原子を含めた宇宙的なエネルギーの働きが存在するという意味では、類似している。無関係ではないということです。まあそういうことからも占星学、占星術のようなことも成り立ってくる訳です。占星術イコール人間ではありませんが、むげに拒絶はできない、無視はできないこともあるということですね。

 

 

 

 この「関係」という問題ですね。この関係という問題を、私たちのはるか前から探求した人々がおり、そしてそれは神話という形でこの世界をつくり、民族をつくり、やがて国家をつくりという形で私たちは発展してきている訳です。現在の姿がある訳です。それを、わたしたちは「精神史」と呼んでいますが、精神史を持たないと、わたしたちは本当には生きているとは言えない。精神史のない生き方は、脆(もろ)いのです。実際にこの世界、人間が関わっている実際の世界を築いてきた実証がないので、弱いと言えるのです。精神史との結びつきのない、「自分の生き方はこれでいいんだ」とか、「自分のように考える人が多いので、これが楽だ」とかいう生き方は、これまでの何千年、何万年の歴史を築いてきたという宇宙的な実証がないために、夢のように消えていく「仮象」かもしれないのです。したがって原点まで遡(さかのぼ)ろうとする時、私たちは神話まで遡(さかのぼ)るという作業を通して、人間っていったい何なのか、自分っていったい何なのか、本当の生きるって何なのかということに近づいていくことができると思います。 

 神話に根掘り葉掘り詳しくなる、別に神話学者になる訳ではありませんが、いかに生きるべきかという「原点」ですね、その「ルーツ」ですね、そこを神話と自分をぶつけることを通して発見しようとしている訳です。私たちはそういう作業から始める。したがっていろんなタロットカードはあるんですが、神話の原理を取り入れたトートタロットカード、それを私たちは教材として使ってる訳です。よろしいでしょうか。

 

 

 

 「関係内存在」ということ、関係があるので自分が存在する。したがって私たちもまた関係をつくらなければ生きているとは言えません。一人ぼっちで山の中とか、ずっと一生部屋に閉じこもるとか、監獄で暮らすとか、それでは生きるとは言えない。孤立していては死んでるとは言わないけど、いわゆる私たちは人間として充実し、人間的なエネルギーを使い、確かにこの世界と関わっている、実在の中に居場所を持つ、自分をこの創造運動、創造活動の一端を担っているとは言えないと思いますね。生存したってだけですが、生きることはやはり創造することですね。創造すると私たちは充実します。

 ちっちゃい時ですらも、お父さんかお母さんの役に立ってみんなが喜んでくれると充実します。あー、買い物してあげれて良かったとか、今日はおじやを作ってあげただけでも良かったとか、充実感を感じる訳ですね。そのことを「創造的」と言います。ちっちゃい時と違って、単なるお手伝いだけではありませんので、人生全体をひっくるめると創造的ですね。一番具体的には、この創造活動とは当然仕事の形で現れてきます。仕事に関わってくる訳ですが、「創造としての仕事」です。つまり衣食住のため、家賃を払うための仕事、今日めしを食うための仕事って意味ではなくて、この世界の本質に何らかの関わりをもって、自分のエネルギーを使い、生きがいを見出す、役に立った私はこの世界を支えてる、この世界の一翼を担ってるという充実感ですね。それをキャリア、天職とかですね、使命とかそういう言い方をします。人は結婚しなくても生きていけますが、キャリアがないと生きていけません。

 

(3)

 

 そしてもうひとつは、「コーリング」という問題ですね。自分は卓球をやるために「呼ばれている」と自覚するところまで行くと、卓球に一生捧げられる。自分は野球に、自分は絵を描くことに、自分は役者として、自分は専業主婦として、自分はこういう知的障害者たちを育てる保母としてとかですね、「呼ばれているんだ」と自覚するところまで追求する。そうすることによって、初めてキャリアは自分自身になります。自分自身の外側への表れ、ほんとの外の自分、自分の肉体と同じですね。私の考えていること、私の求めていること、私の努力がキャリアに現れる。キャリアがないと現れようがない。せいぜい日記を書くぐらいなもの。ブログとか X を書くぐらいのことですが、まあ、そこではあんまり真剣な自分が見えません。 X って別に創造活動じゃないですね。「今日の美味しいごはん、こんな素敵でしょ」とかね、写真撮っただけですから。あー、キャメラマンでもないのに、写真撮るだけで一生終わるのかな、まあそこまではあんまり考えないでしょうけどね、面白いからやってるだけですから、人生にはなりません。そのうち飽きます。みんな飽きます、でしょ。いま X、いま何とか、たぶん数年経つと飽きます。その前はブログでした。その前は掲示板でした。その前は単にサイトを起こす。みんな飽きちゃったので、次またブログだね、別にまた X だね、次にまた YouTuber だね、そのうちそれもまた飽きちゃいますね、しばらくすると。今はまだ飽きないだけですが。これが自分の生きる活動だなんてあんまり思わないですね。ソニーがどんなに立派な会社だって、ソニーに命懸けないですね、創業者でもあるまいし、命懸けちゃダメですからね。仕事終わったらさっさと帰って自分の一番充実する仕事、楽しいって思うことをやる。それじゃなきゃダメですよ。私生活をなげうっても東芝のためにって、なにも別に誰も有り難がってませんね。よろしいでしょうか。

 

 

 「関係内存在」をつくる、ということですね。ただし「関係内存在」には、当然、向かっていく方向、「目的」がなければなりません。目標ではありませんが目的が要る。太陽や金星、木星などの場合も、「軌道」が必要でした。軌道がないと惑星と惑星は衝突を起こし、太陽系という関係を形成できません。惑星は存在できなくなります。消滅します。軌道がある、道があるということは、「目的」があるということなんです。目的がなければ進化もないことになります。人間は目的を持ち、道を見つけて生きるので、目的を持ち、軌道を持つ宇宙とシンクロする。それが占星学が成り立つ根拠なんです。占星学も「関係」を見つけ出す学問なのです。

 人生の目標というのは年収が5000万になるぞとか、金メダルをとるぞとか、それが目標ということですが。「目的」はこんな演劇をやりたいとか、こんなことを演劇を通して表現したいとか、ただ作品をつくるんじゃなくてこういう作品をつくりたいとか、それが目的ですから。中身です。「目的」は自分自身ですね。目標は他の人でも達成できる。

 

 

 「目的」があっての「関係内存在」ですね。目的があっての関係内存在なので、目的がないと、父親と母親はひょっとすると子供をいじめるかもわからないし、父親と母親は別れていくかもわからない。場合によっては殺し合いするかもわからないし・・・・。中身がないと関係内存在ではない。関係内存在とは、あー、誰かと付き合ったとか、結婚したから関係内存在とかですね、そんなことを言ってる訳ではありません。社会にはこんなにも多くの関係がありますが、それらは別に「関係内存在」ではありません。市役所へ行って色々相談しても「そこまでは市役所の仕事ではありませんよ」とか、警察行くと「それは私のやることじゃないのでそこまではできませんよ」とか、ガードマンが「一日中あなたの警護をできませんよ」とか、そうなりますね。関係内存在じゃない。全面的には関わっていません。全面的に支え合うことを「関係内存在」と言いますので。人生のあの部分この部分ではありません。だから別の言い方では、結婚とか絶対的結合とか絶対的結婚とかっていう言い方をしますが。まあ「結婚」っていう言葉を宇宙論としてよく使いますので、人間の結婚という風に勘違いしないようにしてくださいね。宇宙的な人間の結婚も、目的があって成り立ちます。揺るぎない人生の目的ですが。

 

 

(上の画像は、トートタロットの4枚のプリンセス) 

(4)

 

 タロットはこの世界を「プリンセス」として捉えますが、それは大宇宙と結婚するために、まだ未熟なのでプリンセスなんですね。まだ少女なんです。やがて成長すると大宇宙と結婚する。そしてやがてクイーンになっていく。まあ Fool のカードは、まだメジャーの一番最初ですから、マイナーカードに行ってませんから、そこまで学んでいませんが。

 マイナーカードには「プリンセス」というカードが4枚あります(上の画像の4枚)。プリンセスは「この世」の象徴ですね。「この世」は人格としてみればプリンセスにあたる。したがって、まだ私たちは学んで成長しなければならない訳です。成長あるいは成熟する訳ですね。そういう風に捉えながら人生を考えていくと、今までとはちょっと違った角度からものを見始める、ものを考え始める。そうするとこのフール、「タロットの霊」と言われるこの存在ですね、これに近づいてくってことになります。

 

 フールは「タロットの霊」とも言います。フールというのは、これはカモフラージュです。運命学というのは「考えという道」ですが、そしてそれを訓練して身に着けるものなので、運命学というのは「神秘学」ですね。だから、あんまりそれは覚えないようにするんです。覚えられたものは死んだ概念です。生きているものは覚えられません。覚えられるのは、生きていることが終わってしまった「昨日まで」のことです。

 フールというのは「霊」で、「霊」とは今生きて十全に働いている、ということです。それは実は『Full』ということですね。完全性とか十全性。フルバージョンとかのフルですね。完全性とか十全性とか、「十分」でもいいですけどね。まったく欠けたところのない存在。そこからくる言葉ですが、「馬鹿ですね」ってことですね。この世の人間から見れば、それは「馬鹿ですね」ってことです。「適当」では終われないからです。 

 

 キリストなんてのは乞食みたいなもんでしょ。仏陀もだいたいホームレスみたいなもんですね。だいたいこの世から見ればそんな存在なのですが、じゃ彼らは困ってたのか。そのままで何の不足もなく、別に困ってはいなかった訳ですが、この世の人たちから見れば、別に肩書を持っている訳でもなんでもない。「なんだ道路っぱたの人か」、ぐらいのことですね。私の尊敬する矢内原忠雄先生も、東大総長の頃、彼から名刺を渡されると、それには東大総長とも何とも書いてない。ただ「矢内原忠雄」と名前だけが大書してあったと聞いています。

 まあそれはともかくとして、そういうフルっていう言葉のカモフラージュなんだということです。フルを覚えたので、あー俺はもう完全だぞ、十分だぞ。人は覚えちゃうとそうなりがちになりますが、そうではない。野球を覚えるとすぐホームラン打てそうになりますが、いざバッターボックスに立ってみると「うわー、速くて球が見えなかった」とかね。覚えただけでは話にならない。まあそういう意味で、生きるというのはスポーツに似ていて大変です。絶えず訓練する、練習する。それは片時も惰性に陥らずに、生きている、ということです。

 

 全体的な訓練をすれば、スポーツの選手も素晴らしく生きられるとは思いますが、まあスポーツは人生では部分的なものですね。つまり卓球だとか、スケートがとか、そういう限られたものの練習ですから、部分的な訓練ですから。そういう意味では、それを通して生きるってことのヒントを掴(つか)む人もいたりはするんですが、逆に転落する人もいる訳です。薬物にはまる人もいるし。選手としては立派だったけど、記録は残ってるけど、あんなになっちゃったということもある訳ですね。

 

 

(上の画像は、トートタロットの4枚のプリンス)

(5)

 

 はい、0番のフールですね。したがって「完全性」です。このカードは、完全な存在、完全な領域にいる、そのくらいにまず、考え方として考えといていただくといいと思います。したがってテキストにキーワードとして、「いつでもどんな困難にも必ず救いの力をもたらす」、これはわかりますね。フールは完全な存在なので、いつであろうと、どんな時であろうと、必ずやってくる。見放すことはない、放って置かれることはない、フールがいないってことはない。

 もちろん関係をつくっていっての話です。何度も言ってる通り「関係内存在」ですから、フールと関係もないのに助けてくれる、知りもしないのに助けはしませんからね。知り合いなので放っとけませんということになるんです。タロットとの関係を作ることを通して(それはフールとの関係を作ることですが、わたしたちは視覚化ワークによってそれを実現します)、それがまず私たちがタロットを学ぶ一番大きい目的ということですね。大宇宙そのものと結びつくことによって、自分の目的を実現していく。自分の目的を通して、この世界を創造する、つくりあげていくっていう一端を担っていくということですね。それが私たちがタロットを学ぶ目的です。そのなかに、占いという一分野もある訳です。占うことによって悩んでいる人、迷っている人、行き詰まっている人の手助けをするってこともある訳ですが、占いが別に最終目的ではありません。その中の一部分です。それ以外にたくさんタロットを通して考えること、やるべきこと、使えることがあるのです。ここまで、概要よろしいでしょうか。

 

 

 えー、フールですね。フールを取り巻く葡萄のつるがあります。これが(*The Foolのカードのパネルで、「葡萄のつるの輪」を指差す)葡萄のつるですね。葡萄は人生の豊かさを象徴する象徴体だからですね。人生の豊かさとは、「神の前で生きている」ということです。葡萄は後に神の民イスラエルを表す象徴体になります。したがってここ(Foolの背)に葡萄がありますね。だからこれは葡萄のつるであるということですね。このつるは3本、ハートまで入れると4本あります。この世界を表しています。この世界の創造者、この世界をつくったのはフールである、「われわれはフールの心から生まれてるぞ」ということですね。「つる」はなぜ4本なのか、あるいは3本なのか。

 

 

 この現実世界のことを、西洋の運命学では「火、水、風、地」の四大要素、四大エレメントとして捉えています。「エレメント」ですね。エレメントを支配する、エレメントを動かす人物がいます。エレメントを動かす人物を、「エレメンタル」といいます。エレメンタルは、マイナーカードの「プリンス」です。それが象徴する訳です。この世界のエレメント、この世界を構成している四つに代表される要素ですね。私たち「生の探求者」はそれを統合し、足し算ではなく掛け算にしてエレメントの能力を引き出し、目的を実現することを学んでいきます。それをサポートする、それがプリンスです。このトートタロット・カードの場合は、「王」がありません。通常タロットにはプリンスというカードはありませんので、一般のタロットカードはこれをキング、「王」と言います。だが、このトート版タロットにはキングは存在しません。「プリンス」です。プリンスは未熟って意味ではありません。「絶えず新しい王」ということです。王になって人をあごで使うということではなく、絶えず率先して、先導して働く王、そういう意味で「絶えず新しい王」という意味でプリンスを使います。王座にあぐらをかかない。椅子の上でふんぞり返らないのです。

 

 

 そして「エレメント」のことを「プリンセス」と呼びます。火、水、風、地っていう要素ですね。そのエネルギーを統合し、それを使ってさらに発展させる、新しいものをつくる、それが「プリンス」という存在ですね。プリンスのことはエレメンタルと言うと、上で述べた通りです。

 

 そのように、「エレメントのことをプリンセス」と言います。それがカードにあるこの「四重の輪」です。この四重の輪を「宇宙の風」(*霊風です)を使って絶えず浄化し、再生して、絶えず新しい世界をつくる。そういうエネルギーをもたらしますよ、ということですね。これがこのフールという人物が全身が緑、グリーンで描かれている理由です。グリーンは絶えず新しいものを芽生えさせる、新しいものを生み出させる、全身がそういうエネルギーであるということですね。

 この「宇宙の風」、霊風は、プリンスの背後からこの世に向かって吹いています(*「生命の木」で言えば、ダートというセフィラーからティファレトというセフィラーに向かって吹いています)。だから、プリンスは「王」として居座らない王なのです。ふんぞり返らない王、権威者にならない王で、絶えず新しい、絶えず生まれ変わるのです。プリンスは創造的です。

 

 新しいものということを、コインが詰まった袋を持っていますが、コインが詰まった袋というのはこれですね(*Foolの絵の中で指さす)。コインには記号が書いてあります。これは(*絵で指さして)星の記号です。星とかサイン(星座)の記号ですね。たとえば水星ってこういう記号、金星はこうですよ、火星はこうですよ、双子座はこうですよ、水瓶座はこうですよ、獅子座はこうですよ、こういうものが詰まっている。新しい世界をつくる。新しい宇宙をつくる。だから袋の中に詰めてある訳です。自由自在につくる能力を持っている。

 よろしいですか。占い師になるためではありません。こういう能力が使えるようになる訓練、そのことを「魔術師」というんです。手品師じゃありませんからね。マーグスとかマギアという言葉です。それから私たちのこの理屈、私たちが知ってるこの理屈を超えてつくっていくので、そのことをマギア、「魔術」と呼ぶ訳です。

 

( Part 1:終わり)

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