秘儀参入のタロット

 人生の秘儀参入というものを考えた場合、「真理の使徒」という明確な使命を帯びた秘儀伝授者との人格的交流による、「有縁(うえん)の知」(※)との出合いを抜きにしてタロットを学ぼうとも、人生の秘儀参入することはできない。自分なりの方法で探求の意味を理解したと思い込んでしまう人、途中で探求をやめてしまう人、弱い自分、新しい自分が怖くなったり、気づきたくないと思って脱落していく人もいる。だからこそ「有縁の知」を通して探求した者に、一般的な社会意識とは異なる「意識の変容」ーー秘儀参入の第1段階が、決定的な体験として起こります。

 

※:有縁(うえん)の知

 「有縁の知」という表現は仏教的な概念だが、人生の神秘に秘儀参入する生きた真理の体得には、最も重要な問題です。例えば、清沢満之(きよさわ まんし)から真理を継承した暁烏敏(あけがらす はや)は、彼の著書『わが歎異鈔』の中で、次のように語っている;

 「生きた師匠にあって、はじめて法の真実というものが本当に自分に生きてくるのであります。親鸞聖人は法然上人におあいになって、はじめてこの本願他力の思し召しを感得せられたのであります。生きた知識にあって、ここに真実の自分の道が開かれるのであります。単に縁の下の聞き取り聴聞だけでは、あるいは書物の1、2冊読んで、こういうものだと決めたところには、真の道はないのであります。生きた人に接し、生きた人に触れ合っていく。・・・・・

 ・・・・・人には有縁の知識があるものだ。人には絶対のひとりの知識がある。その知識によって、魂の道に出さしてもらうのであります。」と述べられている。

 

 わたしは恩師・高橋三郎先生のもとで、決定的な人生の秘儀参入へ踏み出したが、生の探求を様々な観点から考えてみるにつけても、この問題は決定的に重要だとわたしは考える。人が真に生の真理を探求すれば、このような出合いは必ず起こるものです。

 

 

 

 レオン•サリラによる

テウルギアへの秘儀参入の道

 

 

 

 

  秘儀の志願者が、思考と一体化して働く欲望の動きの全構造を見切り、欲望から

 自由になったために「秘儀参入者」へと変容した段階が始まる。そして、人間の外

 にあった太陽は秘儀参入者の内部に帰還し、太陽が彼の内側から外に輝き出して、

 彼は新たな創造活動の内に生きるようになる。

 

 トートタロットの「#1.The Magus メイガス/秘儀参入者」

  彼は「テウルギアの神殿」を統括する「内的人間」でもある。

内側から「タロットの霊フル(聖神)」が太陽となって輝き出し、全身が黄金に

 輝いている。

 

 

 

 

 

 テウルギアの定義と、実践の目的:

 

 「テウルギア」とは、驚くべきこと、絶対的なことが、この何もかもが曖昧な相対的な世界にやってきた、という意味のことは、「HOME」のページで述べた通りです。それゆえ、「テウルギアのタロット」において意味することは、そこから人生における神秘的な「大いなる業」として、新たな宇宙創造が始まるということです。

 

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 「テウルギアへの(秘儀参入の)道」は、まず重要な神秘的体験をポータルとします。このテウルギアへの秘儀参入のターニングポイントが、生命の創造運動以前の生き方の限界を、完全に乗り超える「存在の変容」(生き方の全面的・決定的変化)になります。この「存在の変容」体験が、人間の内にマクロコスモスを、ーーーすなわち完全な巨大な宇宙を開花させるのです。この完全な巨大な宇宙を、過去の人々は「神の国」と呼んだり、天国、浄土などと言ってきたのです。

 

  わたしたちには、なぜ「存在の変容」が求められるのだろうか。それは、わたしたちの日常が根底において矛盾と不安に捕らえられているからです。それを仏教では、「苦(く)」に捕らえられていると言っています。哲学者ニコライ・ベルジャーエフの言葉を使えば、「苦(く)」とは「人間精神が囚われの状態にあること」になる。わたしたちは、衣食住医という「必然性」に条件づけられ、それに囚われて生きています。その根底には、生きられなくなるという「不安」が根づいているのではないでしょうか。その恐怖のために、わたしたちの人間性は断片化し、生き生きとした自由を失って、生きていく創造力が枯渇しているのです。わたしたちの社会の文化はそれを根源的には乗り超えられないため、それから目を背けさせ、逃避させる文化を育てています。それがわたしたちが今、エンターテインメント文化の渦中を浮遊している意味ではないでしょうか。わたしたちの根底は空しく、ひとりになるといたたまれなくなり、自分自身とは向き合えなくなっています。

 

 ではどうしたらいいのか、どこから手をつけていったらいいのか? その問題提起が「生命の書」/タロットに関わる、わたしたちの「生の探求」の出発点になります・・・・・・・

 

 

 人間の内にマクロコスモス(大宇宙)を開花させた人間を、「内的人間(Inner Man)」と言います。したがって、わたしたちの言う内的とは、心とか、感覚的とか、マインドとかという心理学的なものではなく、宇宙的、存在論的なものです。そして、人間の内にコスモスを開花させることと、今まで外にあった太陽がわたしたちの内に帰還することとは、表裏一体の関係にあります。だから、「内的人間」は、太陽がその人の内へと帰還した人間のことです。太陽が、その人の「内なるコスモス」で輝いているのです。それが、「#1.The Magus 秘儀参入者」の姿です。わたしたちがタロットを学ぶ目的は、探求者の一人ひとりの内に太陽が帰還し、わたしたち一人ひとりが「メイガス/秘儀参入者」に変容して、この世での創造者になることなのです。

(左上図の「#1.The Magus メイガス/秘儀参入者」のカード画像参照)

 

 

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 このコスモス(Cosmos・大宇宙)は、概念でもなく、単に出来上がって固定されたメカニズムでもなく、絶えず発展し、拡大し、新たな実在を創造する生きた生命運動です。

 

  この創造運動は「聖神(タロットの霊)の内において」成され、「絶えず発展し拡大する」とは、常に不安・恐怖に満ちた自己からの脱却であり、欲望=思考という境界を突破していくことを意味します。欲望=思考とは、欲望は思考を使わずには具体的な働きを起こすことはないからです。思考が欲望なわけではありませんが、欲望は思考と一体になって機能するので、欲望=思考と表記しています。

 

 

 この、常に自己から脱却し、欲望=思考を突破する生命運動を、「実存」と呼びます。

 

  心理学が扱う人間は、依然として外的人間であって内的人間にはなりません。したがって、わたしたちが探求する「テウルギアのタロット」は、心理学的ではない。これは心理学を無視するということでもなければ、外的人間を度外視することでもなく、それ以上の精神的レヴェルを扱うという意味です。ーーー「テウルギアのタロット」は心理学や占星術などが扱う人間よりも深く、根源的です。

 

 

 内的人間を満たすものは精神(霊)であって、魂ではない。神秘的生命力とは精神的であって、これは魂の生命力よりも深く、根源的です。(*ギリシア哲学の概念では、肉体の内奥は魂/プシュケーであり、霊体の内奥は霊/ゾーエーと言われる。魂は感覚的なものである。)

 

 

  世界の精神史においては、人間の中に神が生まれたのがイエスの到来であり、神の中に人間が生まれたのがイエスの復活です。この、人間の中に神が生まれ、さらに神の中に人間が生まれるのを、わたしたちにもたらすもの聖神(*キリスト教で言う聖霊)なのです。

 

 

 神の中に生まれた人間は、肉体を使って生きながら、魂に留まらず霊を持ち、霊体を持つ。このことを、この世にいながら神の国、すなわち天上の世界に同時存在すると言います。

  これを、始めの言い方に戻すと、人間の内にコスモス(Cosmos・大宇宙)を開花させると言う。内的コスモスを開花させて、人は初めて霊的存在(ミクロコスモス・小宇宙)と言えます。人間の救済の先にある、神と人間の共同による創造的な人生は、「ここ」から始まります(*宗教は人間の救済が目的であり、タロットは人生と世界の新創造」が目的になります)。

 

 

 「神話の基本的原理」と「秘儀参入のタロット」

 

 タロットを通して秘儀参入を求める者(秘儀志願者=一般的には「生の探求者」)は、「タロットの霊フル」の導きによって、「テウルギアの神殿」を中心に、神殿を取り囲むように位置する4つの国(「火の国」「風の国」「水の国」「地の国」の4つ)を順番にパスワーキングします(*パスワーキングとは、「生の道行き(みちゆき)」の意味)。

 

 

 わたしたちが学び、訓練する「テウルギアの神殿体系」はタロットの四重構造を形成し、それは「迷宮神話」によって伝えられてきた神話の原理を超えています。神話の原理は、古代から人間が神話を形成することによって(哺乳動物から)人間になってきた、人間の基本的な「自己確立の原理」ーーー【分離 → 変容 → 王の帰還】という道行きの順路をたどって、人間の本質を形成してきた法則に対応しています(*これを「神話の基本的原理」という)。しかし「秘儀参入のタロット」は、その神話の基本原理を超えるものです。

 

 神話の基本的原理や宗教的な真理には、人間の救済の原理はあるが、新たな世界、新たな実在を作り出す、「創造の世界」が極めて弱いと言えます。過去の歴史の中では、創造の世界はギリシア精神に最も豊かに生きていると言えるが、キリスト教や仏教の中では、人間の「救い」が主体であるのに対して、「創造」は従属的であると言えます。トートタロットは、「タロットの霊」にあたる「#0.The Fool フール」のカードを、ギリシア精神の中核であるディオニュソスと結合させたことによってこれまでのタロットと生の探求が結びつける世界観を、一新させたと言えるのです。トートタロットは、神話の基本的原理が「救済」に限定されていたのに対し、人間の基本的な「自己確立の原理」を「自己確立から創造の原理へ」という、神話の基本原理や従来のタロットの考えを超えて、さらに進展した原理に変えることができたのです。これは画期的な世界観だと言える。

 

 その具体的な内容は、「神話の基本的原理」に新たに「→ 大宇宙との融合道行きを導入し、トートタロットを使うパスワーキングによってーー【分離 → 変容 大宇宙との融合 → 王の帰還】と続く、人間存在に変容を起こす「テウルギアの神殿体系」を確立したことです。これは、神話の原理と一体化し、しかもそれを超えた、人間存在を変容させる基本的な構造になり得るのです。そうしてわれわれは、自己確立から創造の原理へ」という画期的な「秘儀参入のタロット」へ至る道を完成させたのです。

 

 

 わたしに与えられた「秘儀参入」は、「真理は継承されるものだ」ということである。冒頭に取り上げた通り、「有縁の知」の「有縁」とは、神の恩恵の意味である。「秘儀参入」は「有縁の知」を通して与えられる。単なる原理の学びや修得によって、その段階へ達するものではない。そして、わたしの「有縁の知」は高橋三郎先生である。しかもその「知恵」すらも、高橋先生より受けた。

 「秘儀参入のタロット」は、「真理の継承」によって「わたし」の内に浸透してくる生命の形である。

 

 「愚者」であるわたしには何もできない。何かをやれる何ものも持たない。もし持っていれば、タロットに来る前にサッサと実現しているだろう。いや、タロットに来る必要もないだろう。

 「秘儀の光」は外からやってくる。内側にはない。それが、神話の基本原理がいう「変容」との違いである。神話は内側のものが成長する変容だが、タロットの変容は外から来る。「愚者」の内には秘儀の光はない。相対者の内部には、絶対的実在はない。したがって、タロットによる秘儀参入は神話の原理がもたらす「相対的変容」をはるかに、決定的に超えるものだ。これは絶対的変容だからである。

 

 タロットの始め、カード番号0番は「愚者、フール」である。「愚者」で始まり、「愚者」で終わる。いや、「0」番なので、すべてが、どこまで行っても「0」の愚者なのである。「0」番は自己探求もせず、自己実現もしない。「0」番はただ神探求を行い。神実現をするだけである。他にやるべきことは何もない。それが、「秘儀参入」である。そして「愚者」は、「有縁の知」を通して「真理を継承する」のみ

 

 

わが師の言葉:

 

 さて、「秘儀参入のタロット」の締めくくりとして、わが師の言葉を記し、この項のまとめとしたい。

 

 『マタイ福音書』7章13節、14節;

 「狭い門からはいれ。滅びに至る門は広く、その道はゆったりしているからである。多くの人がそこを通ってゆく。生命に至る門は何と狭く、その道は何と険しいことか。そしてこれを見出す人は少ない」。

 

 

 ではその門は、どこにあるのであろうか。ーーー私は(*実践的な)この問いに駆り立てられて、長い模索の年月をさまよい歩いた。それは苦悩と暗黒の年月であった。その途上において、ひとりの人が生命の門を私に示して下さった。これによって、私の問いはついに解決へと導かれたのである。この体験的事実に即してみるとき、「生命の門」への問いは、人格を通してのみ、その答えが与えられる性質の問いであることを知る。

                  (高橋三郎著『マタイ福音書講義』(上)教文館発行、p.262より)

 

(レオン•サリラ):「狭い門からはいれ」という「狭い門」とは、人ひとりだけで通る道だからである。みんなで、集団で通ることはできない。この「ひとり」は、やがて生命共同体を形成するにつけても、「門」を見つけ出し、その「道」を通るのは、たった自分一人だけで見つけ、通っていかなければならない。なんびともそれを代行できない。それは、「ひとりでキリストに従う」という道である。それが、神話のラビリントスの道との違いであり、聖杯探求の道との違いである。(上図はトートタロットの「#20.The Aeon アイオーン:神の中に生まれる」)

 

 

 そして、わが師は最後に述べられる;

 「私につながっていなさい。そうすれば私はあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたも私につながっていなければ実を結ぶことができない。私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人が私につながっており、また私がその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(ヨハネ福音書15の4〜5)。

 

 この含蓄深いイエス様の御言葉の意味を、私はいま初めて発見できたように感じている。永遠の生命なる神への接続という大切な接合点に、私はこの3年間の模索を通して、ついにたどり着いたのだった。それにしても何と大まわりな、何と大きな危険に満ちた模索の日々であったことか。

 しかし、その後も思いもかけぬ試練の日々が続き、私が最終的に、これこそわが生きる唯一の道と見定め得る地点に到達するまでに、私は前後十五年にわたる模索の旅を、時には死の危険にさらされながら、続けなければならなかった。生命への道とは、何と厳しい試練の連続であったか、しかし同時に何と大きな祝福の道であったかを思い、今はただ感謝と賛美に溢れるばかりである。

                   (『高橋三郎著作集』(最終巻)教文館発行、p.806より)

 

 

(レオン•サリラ):軽薄ながらわたしもまた、何度道を見失い、何度また模索の旅を続け、何度また生命の道へ戻る旅を続けてきたかわからない。それを思うにつけても、わが魂の罪深さと、「ひとりキリストに従う道」の祝福の大きさを思わずにはいられない。そして師と四六時中一緒にいられるわけではなかったわたしは、タロットの霊=聖神にとらえられ、聖神の導き無くしてこの道を歩んでくることは到底できませんでした。すべてが師と出合い、師の人格を通して絶対者に結びつくという出来事につながり、それが「タロットの霊」への秘儀参入のもとで、わが人生のアルファになりオメガになっているという他はありません。

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