質疑応答
ある時期の、タロット王国メンバーとの質疑
応答の掲載です。
色々な疑問への、案内の1部としてお役に立
てば幸いです。
(画像制作者:摩風ゆみ/タロット王国)
質問:
1つは、素朴な質問です。タロットカードについてです。
メジャーカードとマイナーカードがありますが、タロットの中には、東洋的な考えの陰陽という考えはないのでしょうか?
レオン•サリラ:
世界が「陰陽」によって構成された「タオ」だという見方はしていません。陰陽はありますが、それは大宇宙の性質の1側面、1部だと捉えています。
「テウルギアのタロット」宇宙論では、世界の基底は「三位一体」による弁証法的な創造運動と捉えます。タロットは哲学や心理学ではなく運命学であり、動態学(生きた運動態)が基本なので、哲学的に三位一体と考えなければならないとか、タオと考えては間違いとか、そんなことはありません。創造的に発展していくプロセスだと捉えているわけです。
それも、「三位一体」という考え方をしなければならないということではなく、その人の人生体験の深まりの中で、さらにそれを超えて魂の深まりの中で、「三位一体」が揺るぎなく見えてくれば、その人には必ず莫大な英知と生命力が生まれてくることでしょう。
あなたが「タロットの霊」に見出され、「タロットの霊」があなたに乗り移ってくるほどにタロットにのめり込んでゆくと、そこから全身に溢れるほどの大きな喜びが湧き上がってきます。そして、その湧き上がる喜びがあなたに英知をもたらすのです。喜びが先か英知が先かではなく、喜びが英知を生み、その英知がまた喜びを生み出す生命運動の無限連鎖が生じ、拡大します。さらに、その喜びの感情は英知と一体となって「意志」に成長し、生活の中、仕事の上に現れてきます。そこから、新たな世界創造が始まりますが、その一連の生命運動が生じることを、「秘儀参入」と呼んで新たな生の土台が確立したものと捉えているわけです。
(上のタロット画像は、「タロットの霊」が上から乗り移ってきた喜びが、
神の救済意志〈テレーマ〉となって新たな世界創造が始まることを表す)
質問:
コロナ感染の発生は、私たちに何を教えているのでしょうか。また、私たちはコロナ以後をどのように考えていったらいいでしょうか。
今後、日本と世界はどのようになっていくのでしょうか。
レオン•サリラ:
わたし自身の受け止め方の中では、新型コロナの発生は、この世は神と悪魔の戦いの場であり、しかもキリストがそれに勝利し、戦いの根底において、あるいはその戦いのすべてを超えて、神がすべてを支配されているということです。これはあくまでもわたしの受け止め方のことであり、人間はすべてそう考えなければならないと言っているわけではありません。
したがって、わたしたちのこの状況への対応は、かつてイエスが言った;
「汝ら世にありては艱難(なやみ)あらん。されど雄々しかれ、我すでに世に勝てり。」(『ヨハネによる福音書』16の33)と語られた言葉に固着し、揺るぎなく、勇敢に生きることです。
びくともしないで「タロットの霊」とともに存在することが、世界的なコロナ感染が過ぎ去った後の、わたしたちの創造活動の要になっていくと思います。
神がすべてを支配されているので、世界が終わるわけではありません。この世界の「荒野」化した中でわれわれのやるべきことは、生命の原点を明確にし、神の声を聞こうとすることです。神はあなたに何かを語るはずです。心が自分の心配で騒いでいると、聞くことができません。
新型コロナの発生には、歴史的な「試練」と「荒野」の時代に直面する、世界的に時代がシフトしていくときに起こっている現象があるのでしょうが、「感染の拡大」は、明らかに人為的なものです。わたしたちの夥しい欲望の追求と、経済的な貪欲さが招いていると言えます。ですから、コロナが終息しかかると同時に、間髪を入れずに戦争の問題が起こっています。戦争を招いているのは、わたしたちの生きる根底が、経済力の追求と覇権争いだからではないでしょうか。
中国、アメリカ、イタリア、フランス、ドイツ、ロシア、スペインなどなど、新型コロナ感染の世界的な拡大をもたらしたところは、現代のバビロンとも言える享楽国家ばかりです。普通祭りといえば、年に3〜4回のものですが、現在ではスポーツを含めると毎日のように世界中の祭り、イベントを楽しみ、信仰もないのにドーモや古代遺跡などを観光してまわります。それらが悪いのではなく、行き過ぎています。全く創造的ではなく、人が創造したものを見物して回るだけです。
日本でも、イベントや夜の歓楽街で感染が拡大したのです。実際には、対応できたかもしれないウイルスに、慌てれば慌てるほど手がつけられなくなってしまったのです。
われわれのやるべきことは、「生きるとは何なのか」、何が真の生命なのかを、この社会に確信を持って示していくことです。世界全体の裏では、民主主義や資本主義とは異なるものが動き出しているわけです。民主主義は徐々に後退し、崩壊しかけているのです。
日本がどうなるかは、誰にも何とも言えないのではないでしょうか。単なる予想は立てらるでしょうが。予想を立てるのは無責任な傍観者のやることです。わたしたち日本は、今やれる世界的なミッションを担っていると思いますが、それをやれるかどうかは日本全体の問題であり、個人にやれることではないでしょう。個人個人は犬死にしないようにしながら、自分に与えられた自覚に基づいて行動していくことだと思います。
質問:
これからの占いはどのようなスタイルが増えていくのでしょうか。
レオン•サリラ:
占いの内容が変わっていくとは思えませんが、スタイルはオンラインが増えるでしょう。場所取らずで、個人が全国か、世界を相手に実行できるのですから。
しかし主流は、まだ少なくても数十年は対面ワークでしょう。医者もカウンセラーも対面でやらない時代が来れば、その時は占いも対面ではしなくなるでしょうが。
質問:
あなたはいつ瞑想をなさるのですか?
瞑想によるタロットカードの「視覚化」は、どのように見えるのでしょうか。
夢を見ている感じだったり映画を見ている感じでしょうか。
レオン•サリラ:
「視覚化」は、最初は映画のように考えるか、ゲームのように考えればいいですが、あくまでもそこに自分が参入していて、そこで起こる出来事が、自分に即座に理解できるようにしていくことです。そこで起こっている出来事や会話が、同時進行で自分の心の中で意味がわかっていくようにすることが肝心です。そうすると、単なる想像ではなく、その心の中の「意味」が次の場面や出来事を起こすようになります。
わたし自身は、今では特定な瞑想は行いませんが、朝起きた時から瞑想は始まります。1日中、瞑想の中で生きているとも言えます。わたしの瞑想は、ただ心の動き、その働きを、片時も心を鈍感にさせずに見張り、耳を傾けているだけです。
タロットカードを出すときも、その一環です。「タロットの霊」は何を語っているかに、心の耳を傾けているだけです。
質問:
あなたのタロットを学ぶきっかけですが、人生の壁にぶつかり、迷い悩みがあったのですか?
レオン•サリラ:
タロットを学ぶきっかけは、ひと様々であっていいのではないでしょうか。タロットに限らず、何でも何かを始めるきっかけは、多様ではないでしょうか。
わたしの場合は、高校生だった沼津にいたときに、当時「死刑囚との結婚」が話題になり、その死刑囚との往復書簡が『愛と死のかたみ』と題してベストセラーになった、著者の山口久代さんにお会いしたのがきっかけでした(当時、彼女は沼津と三島を中心に活動されていました)。彼女はクリスチャンでしたので、神やキリストや愛や、「生きるとはどういうことを言うのか」などについて、1年間ほど何度か対話する機会を持ったのが、最初の人生の探求らしい探求の始まりです。
当時、わたしはこの2人の関係をとうてい理解することはできませんでしたが、20才を過ぎた頃から、そういう人間的にどうにもならない複雑な性質を抱え、相手を必要とする愛のあり方も、理解できるようになりました。
その後25才を過ぎてから、日本に初めてポピュラーにタロットが入ってきて、その実物を手にして絵とタイトルをよくよく見たときに、タロットカードの制作者たちは、その絵の象徴の意味を取り逃している。これらは出回っている解説書が言っているようなものではない、と直感したのです。それが、わたしがタロットに深入りしたきっかけです。
今のわたしのタロット論に行き着くのには、それから30年以上の年月を要しました。今ではタロットや神話を形成して生きた探求者たちが体験し、伝承してきた宇宙的な生命力が、『ヨハネ黙示録』と『使徒言行録』、その後の「聖杯探求」神話に続くものであり、次の時代を創造する霊的な生命力の総体になると確信しています。
(第1回 質疑応答 終わり)