愚者の旅

 

 

心の旅ーー山頭火 句集:『草木塔』より

 

 

 俳人 種田山頭火は、彼の代表的な句集「草木塔」の最初の書き出しで、次のように記している;

 


 大正15年4月、解すべくもない惑(まど)いを背負いながら、行乞流転ぎょうこつ るてん)の旅に出た、と。


 そして九州・熊本の山あいを旅しながら、以下のように詩う;



 ーーー分け入っても分け入っても青い山   (山頭火)



 解(かい)すべくもない惑(まど)いは、旅をしても旅をしても、心の中に青い山が続くように晴れてはきてくれない。それを、「分け入っても分け入っても」と詠んだのである。


 また、

 


 ーーーしとどに濡(ぬ)れてこれは道しるべの石   (山頭火)



とも詠む。



 旅の道で、ところどころの足元に見えてくる「道しるべの石」も、彼の「心の惑いの悲しみ」を表しているのであろう、「濡れて」いる。この「道しるべ」も、山頭火の「解すべくもない惑い」を脱ぎ去って、新たな境地に達する道しるべにはなってくれない。

 そして、

 


 ーーー炎天をいただいて乞(こ)い歩く   (山頭火)



と詠む。



 行乞(ぎょうこつ)の厳しさは、苛烈な炎天の中を這(は)うように進むばかりだが、しかし彼はそこに仏の慈悲が存在することを信じて、ただ乞い歩くのである。

 そして、「旅から旅へ」道を求めて遍歴しながら、10年後の昭和9年秋、遂に彼は「存在の世界」の境地にたどり着く。

 



 私はようやく「存在の世界」にかえって来て、帰家穏坐(きかおんざ)とでも言いたい心地がする。私は長い間さ迷っていた。体がさ迷っていたばかりでなく、心もさ迷っていた。

 

 在るべきものに苦しみ、在らずにはいないものに悩まされていた。そしてようやくにして、在るものに落ち着くことができた。そこに私自身を見出したのである。


 在るべきものも在らずにはいないものすべてが、在るものの中に蔵されている。在るものを知るとき、すべてを知るのである。私は在るべきものを捨てようとするのではない、在らずにはいないものから逃れようとするのではない。


 「存在の世界」を再認識して再出発したい私の心構えである。


 うたうものの第一義は、うたうことそのことでなければならない。私は詩として私自身を表現しなければならない。それこそ私のつとめであり、同時に私のねがいである。



と、山頭火は語るのである。

 

 

 

 

 わたしは、「在るべき自分と在らずにはいないこの世界」との関わりに苦しみ、「在るべきもの」でも「在らずにはいないもの」でもないものを見出してきた。そして、それによって、「在るべきものも在らずにはいないものも、さらには在るものをも超えたもの」に至ったのである。そこに、「在るべきものも在らずにはいないものも、さらには在るものをも包括」し、新たな世界を創造してやまない力を見出した。それが、タロットの「テウルギアの神殿体系」に基づく「存在の変容」をもたらす道行きである。そして、その道行きを修得することを『秘儀参入のタロット』と呼んでいる。

 

 

(熊本の青い山々)

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